西尾敬吾(社会思想家)の日々の思い

X(旧Twitter)からの参入です。

女性は子供ではない!

儒教では「女子供」と言います。つまり女性は子供と同じ扱いだと言うのです。しかし、これは大間違いです。というより、儒教それ自体が、そもそもの間違いです。

 

では、儒教とは何か、と言うと、「上の者に逆らうな、そんなことをするから、世の中が乱れるのだ」という教えです。この考え方は、私たちの国に、「道」の付くものとして、すっかり根付いてしまっています。柔道、剣道、茶道、華道、などなど。

 

しかし、儒教とは真逆の国々がありました。それは古代ギリシャ世界です。古代ギリシャ世界では、たった24文字しかない、ギリシャ文字を使っていました。ギリシャ文字は音を表していて、外国の品々や地名なども、このギリシャ文字で書き記すことが出来ました。

 

そうです。誰でも、自由に、書いたり、読んだり出来る、表音文字のアルファベットを使っている国々では、人は皆、平等である、という意識が根付きます。そして、誰もが自由に、発言する機会が与えられる、民主政治が行われるのです。

 

なぜ、こうも儒教世界とは異なるのでしょうか?それは、儒教世界では、漢字が使われているからです!漢字は、何千文字もある、絵文字の一種であり、意味を表わす、表意文字です。誰もが自由に書いたり、読んだり出来ないために、一部の特権的な官僚たちによって、政治が行われるのです。

 

儒教とは、このように、漢字と切っても切り離せない関係にあります。逆に言うと、漢字の無い国々に、儒教など、ありません!儒教など無くても、これらの国々には、ちゃんと道徳はあります。北欧諸国など、儒教の国々以上の、高福祉社会を実現出来ています。

 

人間はいずれ歳をとります。誰もが、いずれは年老いていくのですから、老人に対する、憐れみの情が生まれるのでしょう。儒教世界では、老人は敬われる存在であり、それゆえに、保守的な政治風土に陥りやすいと言えると思います。

 

さて、儒教で言う「女子供」ですが、女性は成長して、大人になっても、子供と同じ扱いを受ける、ということです。これは、女性にも、自由や平等が主張される、西洋社会では、ありえないことです!

 

私たちの国は、漢字かな混じり文であり、漢字と、ひらがな、カタカナ、それにアルファベットも使われています。しかし、二千文字くらいは、漢字を覚えなければ、なりません!

 

そう、なぜ私たちの国では、儒教の影響が抜け切らないかと言うと、漢字を使っているからです!ですから、漢字を使うのをやめれば、アルファベットで、誰もが、自分の耳で聴いた通りに、書いたり、読んだりすれば、儒教から抜け出すことが出来ます!

 

だから、わたしは、Xで、ひらがな・カタカナでぶんをかいて、それをアルファベットでかいたものをポストしているのです!

Dakara, watasi wa, X de, hiragana,katakana de bun wo kaite, sore wo arufabetto de kaitamono wo posuto site iru no desu!

 

こうすることで、じゅきょうをみとめない、いしひょうじができると、そうかんがえています!

kousuru koto de, jyukyou wo mitome nai, isihyouji ga dekiruto, sou kangaete imasu!

 

どうか、みなさんの、ごりかいと、できれば、ごきょうりょくを、おねがいいたします!

Douka, minasan no, gorikai to, dekireba, gokyouryoku wo, onegai itasi masu!