大阪!
私たちの国の、最大の商業都市は、大阪です!古くは、難波宮があり、当時の都、奈良の、海の玄関口でした。そして、平安時代に、私たちの国の都(首都)は、奈良から京都に移りました。その後、戦国時代に、秀吉が大阪に首都を移し、私たちの国の首都は、大阪になるはずでした!
ここで、いったん、西洋の歴史を見て欲しいと思います。それは、イギリス、フランス、ドイツの歴史です。イギリスは、11世紀にノルマン人によって征服され、その後、首都がロンドンに定まりました。ロンドンはイギリス最大の河川である、テムズ川の河口の街です。このロンドンに首都が定まって以降、イギリスの歴史は、順調に発展していくことになります。
川の水が上流から下流に集まって来るように、水の流れに沿って、人も物もお金も、テムズ川河口のロンドンに集まって来ます。ですのでロンドンは、無理なく求心力を持つことが出来ます。これによって、イギリスは早くから中央集権を成し遂げました。また、カトリックからプロテスタントへの、宗教改革もスムーズに行きました。
そのため、市民革命である、清教徒革命と名誉革命を経て、イギリスでは国王は、法に従う存在になりました。そして、どの国よりも早く、産業革命を迎えたのです。この間、フランスは、首都がセーヌ川中流域のパリにありました。フランスは、中央集権は、官僚らの力で半ば強引に成し遂げますが、宗教改革は失敗して、いまだにカトリックのままです。
そして市民革命であるフランス大革命は、フランス国内に大混乱をもたらしました。その結果、ナポレオンによる軍人独裁を招きました。そして、宗教改革も、市民革命も不十分なまま、産業革命を迎えてしまいました。その後のフランスは、社会主義思想のあおりを受けて、国内政治が安定せず、隣国ドイツとの戦争に苦しみました。
ではドイツはと言うと、ドイツは首都の位置さえ定まらず、中央集権が出来ませんでした。なのでいまだに連邦制をとっています。そして宗教改革は、ドイツ国内外を巻き込んだ、大宗教戦争をもたらしました。結果、プロテスタント化されたのは北部止まりで、南部はカトリックのままです。その後も、ドイツでは市民革命など出来ず、イギリス、フランスに遅れたまま、産業革命を迎えてしまいました。その結果、ドイツでは共産主義思想が広まりました。
その後、ドイツでは軍部官僚らによって、強引な中央集権を行ない、ドイツ帝国を成立させました。そしてドイツは、第一次大戦、第二次大戦を引き起こし、イギリス・フランスに敗れて、敗戦国になり、東西ドイツに分断されました。第二次大戦後は、戦後復興を成し遂げるために、西ドイツの通貨は戦勝国の通貨よりも、割安に設定されたため、経済的発展を遂げました。
しかし東ドイツとの統一後、首都はドイツ帝国時代の首都ベルリンに戻ってしまいました。
内陸部のベルリンが首都では、イギリスのように、中央集権化するには求心力不足です。ですので、敗戦国割り当ての、安い西ドイツ通貨で経済発展したものの、東西統一後のドイツには、ネオナチが現れたり、今後の政治情勢は不透明です。
このように、同じゲルマン人の国でありながら、首都の位置が良いのと、中途半端に良いのと、そもそも悪いのとでは、こうも違うかというくらい、歴史の発展が異なります。ここから言えるのは、その国の首都は、その国最大の河川の河口にひらけた、その国最大の商業都市にあるのが理想的である、ということです。
なぜなら、大きな河川の河口の街は、川の水の流れに沿って、人・物・お金が集まって来るので、必然的に商業都市になり、経済的求心力を持つからです。つまり、官僚らによる強引な中央集権を行なわなくても、無理なく自然に中央集権化出来るため、その後、宗教改革、市民革命、産業革命というように、順調に歴史的発展を遂げられるのです。
では、私たちの国に話を戻すと、秀吉による天下統一によって、首都が、私たちの国最大の商業都市である、大阪に定まっていれば、その後の私たちの国は、順調に歴史的発展を成し遂げられたはずなのです。しかし、実際には、イエヤスによって首都は江戸に移されてしまいました。当時の江戸は、私たちの国最大の河川、利根川の河口の土地ではありました。
しかし、そもそも江戸は、入り江の漁村に過ぎなかった上に、イエヤスは水はけが悪いという理由で、数十年かけた大工事の末に、利根川の河口を銚子に移してしまいました。これはイエヤスによる、最悪の施策でした。なぜなら、江戸時代の間、江戸は商業都市として発展出来ず、もっぱら消費都市として、参勤交代と大名屋敷の造営で、各大名の力を削ぐことで、中央集権を行なったからです。
その結果、幕府老中らによる、官僚政治が横行し、鎖国政策も相まって、西欧諸国に対して近代化で遅れをとりました。その後、明治維新を経て、江戸は東京になりますが、相変わらず商業都市とは言えず、幕府老中らによる官僚政治が、薩長の閥族政治に変わっただけでした。この間、東京を首都とする明治政府・旧日帝は、官僚制による強引な中央集権を推し進めました。
そして、西欧諸国の近代化に追いつこうと焦って、朝鮮半島、引いては中国大陸を、強制市場として支配して、近代化推進のために、西欧諸国に対価として支払った、国内の黄金を取り戻そうとしました。しかし、この強制市場支配は長続きしませんでした。私たちの国は、満州獲得を目指した満州戦争を引き起こし、これは西欧諸国を巻き込んだ、国際戦争に発展しました。
旧日帝は、アメリカに石油とくず鉄の禁輸措置を取られると、ナチ・ドイツに敗れたオランダが領有していた、ジャワ島の石油資源を目指して、そこに至る通路を確保するために、当時のイギリス領マレー半島と、アメリカの反撃拠点である、当時のアメリカ領フィリピンに対して、奇襲攻撃を行ないました。満州戦争イギリス・アメリカ戦線の始まりです。また、この攻撃を支援するために、アメリカのハワイ島への奇襲攻撃も同時に行われました。
満州戦争の結末は、欧州でナチ・ドイツとの戦争を終えたソ連が、満州に侵攻してこれを奪うと、戦争を行なう、元の理由を失くした旧日帝は、アメリカ・イギリス・ソ連など連合軍に、あっさりと無条件降伏して終わりました。この満州戦争は、1931年〜1945年まで15年続き、私たちの国を荒廃させました。
敗戦後、西ドイツと同様に、敗戦国復興支援のため、通貨が戦勝国に対して、安く設定されたため、私たちの国は、もっぱら輸出で外貨を稼いで、経済発展を遂げました。しかし、この輸出偏重の外需型経済は、アメリカとの深刻な経済摩擦を引き起こしています。また国内では、霞ヶ関官僚らによる政治支配が横行し、政治改革など出来ない状況です。
つまり、私たちの国の首都は、東京ではダメだということです。本質的に、東京は江戸のままで、幕府老中らによる官僚支配が、明治以降の薩長閥族による官僚支配を経て、霞ヶ関官僚らによる、官僚政治に変わったに過ぎません。ですので、冒頭に書いたように、私たちの国の首都は、私たちの国最大の商業都市である、大阪にあるべきなのです!
歴史的に見ても、奈良、京都、大阪と、首都が移動しています。ですから、今からでも、私たちの国は、首都を大阪に移して、正しく歴史発展をしていくべきなのです!それを踏まえて、今一度。私たちの国の首都は、私たちの国の最大の商業都市・大阪!



